定義森林鉄道跡の廃木橋群 その6(最終回)
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定義森林鉄道の廃木橋群 最終回 空中の森林鉄道【廃線・廃橋】 定義森林鉄道跡を歩く(定義如来~十里平編)【宮城・定義山】
橋の先も、はっきりとした路盤跡が残っています。
以下は後日撮影したもの。
季節柄もあると思いますが地面は完全に沼と化しています。
一見した限り枕木は確認できませんでした。
視界が開け、橋の痕跡が現れました。
しかし残念ながら完全に崩壊しています。
今度の橋はだいぶ大きかったようです。
規模、崩壊度合いとも2号橋に近いです。
中央には橋脚が存在したようです。
明確な根拠があるわけではないのですが、
この橋が完全に倒壊したのはそれほど昔の話ではないように思われました。
たとえば2号橋などは周囲にほとんど残骸らしい残骸が見られませんでしたが、この橋は川床に残骸が多数散らばっています。
また、川床からそれなりに高さがある橋台もほとんど跡形もなく
崩れ落ちています。
これまでと同様、橋の木製部分が風化して自然に崩壊した可能性もありますが、それ以外に、この地点全体に強い力が働いて崩壊した可能性も捨てきれないように思われます。
たとえば震災など地震の影響で大規模に崩壊した可能性などです。
この橋を「7号橋」と呼びたいと思います。
この地点を見たときには一瞬これ以上の探索は不可能かと思われました。
橋付近には取り付けるようなポイントは見当たらない・・・
上流側に大きく高巻きして、小枝の生い茂る地点を何とか突破することにより
ようやく対岸に渡ることができました。
夏場や増水時には厳しいかもしれません・・・
対岸はまた林の中に続いています。路盤には立派な木が成長しています。
さらに進むと右側に岩肌が現れ、左側は視界が開け始めました。
今回の探索で最も気になっていた地点に近づいている雰囲気があります。
そして・・・
本格的な切通が現れました。
土ではなく、岩塊を穿って造られた切通です。
もう少し岩の高さや幅があれば隧道になっていたかもしれませんね。
地盤は極めて安定しているように思われますが、路盤の真ん中に巨大な
岩が落ちています。山側はほぼ垂直な斜面です。こんな岩が落ちてきたら
ひとたまりもないですね・・・
恐る恐る切通の間を進みます。
谷側の岩面はまるでナイフで切り取られたようにきれいに削られています。
いままでこういう掘削面はあまり見たことがありません。もしかしたら
岩の性質が影響しているのかもしれません。
そして切通を抜けると・・・
空中回廊ともいうべき断崖絶壁の道が現れました・・・
高低差はおそらく50メートル前後、谷側、山側ともほぼ垂直の斜面です。
筆者は高いところがあまり得意ではないという事情もありますが、
基本的には近年中人が通行していない道であり、足元の地面が安全である
保証はどこにもありません。
また山側からは絶えず雪解けの水滴が降ってくる・・・水以外の個体(岩など)が
落下してくる可能性も十分ありえます。
しかも地面の一部は人工的な積み石です。見たところ特に崩れそうな様子は
ありませんが、やはり気になります。
なるべく速やかこの地点を通過します。
すると小さな橋が現れました。この橋が今回の探索で最後の橋「6号橋」です。
これまでの小規模な橋と同様、三本の木材(桁)を両岸に渡しただけのシンプルな橋です。一見桁は2本しか残っていないように見えますが、写真を見ると辛うじて谷側の桁の残骸のようなものも見て取れます。太い橋桁が風化でここまでの姿になってしまったのでしょうか・・・
しかし、この地点でもっとも気になるのは橋よりもその下を通る沢の姿です。
どうみても普通ではありません。上流側、下流側とも完全なる一枚岩で、その斜度も半端ではありません。目測60~70度前後、沢というよりはウォータースライダー
と言ったほうがしっくりきます。
この橋を越えるのも非常に躊躇いがありましたが、橋の下部分については水平になっています。
降り立ってみると特に不安な感じはありませんが、1メートル谷側は完全なる絶壁です。なるべく近づかないようにします・・・
橋の周辺で気になったもの。
おそらくはこれまでも橋とセットで現れていた水道管の止水栓のようなものだと思われます。鉄道の下に埋め込まれていたんでしょうか。
この水道管、延びている方向からすると十里平地区の民家への給水を目的としたものだったと思われますが、沿線に存在したであろう森林鉄道関連施設への給水の役割もあったのかもしれません。
橋を越えて少し進むと、路盤が大規模に崩壊しています。
第4回で探索続行を断念した地点に近づいています。
前進できないかしばらく考えましたが、これ以上安全に前進することは困難と判断しました。いずれにしても、30メートルほど先には前進不能が確定している崩壊地が見えていますので、前進する実益はありません。
ここを探索最終地点とします。
満足感を感じつつ最終探索地を後に帰路につきます。すでに夕闇が迫っており、
早めの帰還が求められます(低山とはいえこのような探索はよろしくないです。)
しかし安全なルートはすでに認識できているので行きよりも断然早く移動できます。
9号橋の川に差し掛かり、第5回で触れた、安全確認できている石に当然のように足をかけたところ・・・
ザブン!・・・
下半身丸ごとと機材の一部が冬の終わりの渓流に水没しました・・・
行きは滑らなかったのに一体なぜ・・・
どうしても気になりこの石を確認したところ、石の頭は最初確認したとおり
全く滑らないのですが、そこから下はツルツルによく滑る・・・
左岸側からの移動では問題なくとも右岸側からの移動は不可、
そんなトラップが仕掛けられていたのでした・・・(トラップではなく単に自分の確認が不十分だっただけです。はい(*_*; )
今回の探索によって、当初気になっていた疑問に明確な答えを得ることができました。
・定義森林鉄道は定義如来から十里平までどこを通っていたのか?
→鉄道は大倉川右岸を川と並行して通っていた。
・等高線が集中する急傾斜地はどのように通過していたのか?
→断崖絶壁の表面を穿ち、橋や切通を設けて線路を通していた。
今回の探索で確認できたルート図は下の通りです。
(概略図であり、路盤の位置の正確性を保証できるものではないため、この図を参考に探索を行うことはおすすめしません)
※念のため付け加えますが、事前情報で紹介した文献のルート図が実際と異なっていることについて批判する意図は一切ありません。廃止された多数の森林鉄道について正確なルート図を調査の上示すことはもとより不可能に近く、同文献中でも示されたルートは他の文献等で確認したものであり正確でない可能性があることが明記されています。
さて、今回の探索では合計9本の橋(痕跡含む)を見てきましたが、その中で最も印象的な橋を一つ挙げるとすると、やはり3号橋だと思います。見た目のかわいらしさもさることながら、極めて小規模とはいえ、全く手が加えられていないと思われる森林鉄道時代の木製橋梁が、ほぼ原形を保った姿で存在しているのは、もはや全国的に見てもかなり珍しいことではないかと思われるからです。
トラックや重機などが発達し、比較的簡単に山中に道路を通すことができるようになった現代において、また残念ながら国産材の価値が相対的に低下し、最盛期に比べると国内林業が見る影もなく衰退してしまった現代においては、山の中に木材を運ぶための鉄道が通っていた、という事実自体が奇妙で、不思議で、興味をそそることのように思われます。しかしご覧の通り、その痕跡は年を追うごとに薄まり、木製の遺構については遠からず完全に姿を消してしまうと思われます。
それ自体は役目を終えた交通機関の宿命で悲しむべきことではないのかもしれませんが、その痕跡が少しでも多く残っているうちに自分の目で確認することができたのはよかったと思います。
この鉄道の建設及びその維持運営に携わった方に敬意を表しつつ。
完